【Voice!】2023年川崎フロンターレ加入内定 山田新(桐蔭横浜大学)
──2023シーズンの加入が内定しました。現在の心境を教えてください。
「これは今もそうなんですが、U-15、U-18とフロンターレに所属してきてクラブの大きさを知っているぶん、まだ実感がないのが正直な気持ちです。最初話を聞いた瞬間、『本当に自分が入れるのかな。嘘なんじゃないかな』って思いました。これから徐々に実感していくのかなと思っています」
──ご家族の反応は?
「それはもう喜んでくれました。親からしても思い出と愛着があるクラブですし、祖父母が川崎市宮前区に住んでいてすごく身近なクラブなので、むちゃくちゃ喜んでくれました。僕は中学1年生からフロンターレのアカデミーに入ったんですが、小学校6年生のときにセレクションを受けると母親から言われていました。でも登録がちゃんとできていなかったらしくて、僕自身も日程がよくわかっていなかったんです。そしたらある日、学校から帰ってきて友だちと遊ぶ約束をしていたので出かけようとしたら、『今日セレクションだよ』と言われてびっくりして。母親がクラブに連絡してくれて、登録のほうも大丈夫だったんですね。セレクション会場が当時の川崎球場、今の富士通スタジアムだったんですが、僕は約束をしていたので行きたくないって嫌がったんです(笑)。でも、『行くだけ行きなさい』と母親に無理やり連れて行かれました。今考えると、あの日セレクションに行かなかったら人生が変わっていたと思います。だから母親には頭が上がりません(笑)」
──世代的には同じアカデミー出身の宮代大聖選手(鳥栖に期限付き移籍中)と同学年ですね。
「そうです。U-18の頃はタイセイと2トップを組んでいました。アカデミー出身で世代が近いのは、ひとつ上のユウキさん(早坂勇希)。その上にアオくん(田中碧・現デュッセルドルフ/ドイツ)がいて、ひとつ下がテン(宮城天)です」
──他のクラブからも声がかかっていたそうですが。
「U-18から大学に進学したときから、このクラブに戻ることを目指していました。自分が大学に入ってからフロンターレがどんどん強くなっていったので正直、難しいのかなと思う時期もありましたが、それでも戻ることを目指して4年間サッカーに取り組んできました。向島さん(向島建スカウト)や田坂さん(田坂祐介スカウト)をはじめ強化部の方々に評価していただき、なんとか戻ることができました。自分としてはフロンターレに行くことに迷いはなかったです」
──アカデミーから大学に進み、選手としてさらに成長したという話を聞きました。
「U-18のときは周りの選手がうまくて組織的なサッカーだったので、自分はゴール前にいてフィニッシュに顔を出すとか、最終ラインの背後に抜け出す役割に専念していました。でも大学に入ってから多くの試合を経験させてもらって、苦しい局面でボールを収めることを求められるようになって、そこで経験を詰めたことで自分の生かし方を見つけられたのかなと感じています」
──大学時代は1年生時からトップチームでプレーしていたんですか?
「いえ、桐蔭横浜大学サッカー部は多くの選手が試合に出るという方針があって、まずトップチームがあって、社会人リーグに出ている桐蔭横浜大学FC、そしてIリーグという1年生中心のチームがあります。僕は1年生のときは基本的にIリーグに出ていて、天皇杯やアミノバイタルカップといった大会ではトップチームで出させてもらいました。僕が1年生のときに4年にゼインくん(イサカ ゼイン、横浜FCに期限付き移籍中)がいて、たまに同じチームでプレーしていました。トップチームで多くの試合に出られるようになったのは2年生に上がってからです。3年にユウキくん(早坂勇希)、4年にケントくん(橘田健人)がいました」
──自分のなかで手応えを感じた時期は?
「もともと僕はスピードを特徴にしていたんですが、大学2年の後期ぐらいからコンスタントに試合に出られるようになりました。そこで点も取れるようになって自分の特徴が大学サッカーでも武器になると感じて、そこから自信がついてきました」
──アカデミー時代と比べて、プレースタイルの変化はありましたか?
「僕はスピードは自信があったんですが技術的にうまくなくて、タイセイは何でもできて気を遣える選手だったので、U-18ではチームがうまくいかないときはタイセイが降りてボールを受けたりして、チームをうまく循環させていました。その頃の僕は何もできなかったのもあるんですが、とにかく前にいて最終ラインを駆け引きをしながら突破を狙っていた感じです。でも大学に入ってからタイセイような存在はいなかったので、自分がもっといろいろなことをやらなきゃという意識が強くなりました。ボールをさばくプレーはまだまだ未熟ですが、前線で体を張って収めるようなプレーにも取り組むようになりました」
──印象に残っている試合は?
「いいイメージなのは大学2年生のときのリーグ戦、明治大学戦です。桐蔭横浜大学時代は明治大学のことを勝手にライバルだと思っていたので(笑)。そういうなかで点を取れて、アシストもして、自分のパフォーマンスもそれなりによかったので手応えを感じました」
──逆に難しかった試合は?
「大学2年生のインカレの順天堂大学戦です。負けたんですが、一発勝負のトーナメントで何もできませんでした。4年生は最後の大会で、ケントくんの代の大学サッカーが終わってしまったので一番悔しかったです」
──ところで、山田選手は普段のキャラクターはどんな感じですか?
「うーん。おとなしくはないです(笑)。仲間内ではイジりもしますし、イジられもします。性格的には明るいほうだと思います」
──アカデミー時代の話を伺いたいと思います。アカデミー時代に思い出に残っている指導者は?
「今野さん(今野章・現U-15Bコーチ)は監督の立場としてチームを構築されていたので、基本的にサッカーをしているときはいつも怒られていました(笑)。でも普段はやさしくて、ミーティングの映像を作ってくれていたんですが、そこで僕のプレーを出してほめてくれるのが一番嬉しかったです。試合後、いつも楽しみにしていました。
長橋さん(長橋康弘・現U-18監督)はサッカー選手個人としての根本を作ってくれた指導者です。長橋さんは自分は足が速くなかったという話をしてくれて、僕のスピードに魅力を感じてくれてFWの動きを教えてくれたり、練習前に時間を作ってくれて自主トレにつき合ってくれました。
あとは周平さん(寺田周平・現トップチームコーチ)です。好きです、人として(笑)。中3のときの監督で、高校3年生のときのコーチなんですが、身近な存在で話しやすくて愛情を感じました。僕がシュートを外すといつもなぐさめてくれて、何本外してもいいから大事なときに1本決めらるようにと。それを10回以上言われました(笑)」
──大学生活はまだ約半年残っています。どのように過ごしていきたいですか?
「フロンターレで試合に出るためには、選手として足りないものがまだまだたくさんあると思っています。もちろんチャンスがあればいますぐにでも試合に出たい気持ちはありますが、残りの大学リーグに出てもっと成長して、フロンターレに加入したときすぐ試合に出て活躍できるような準備をしたいです。また大学の関東リーグ戦で6位以上に入ると冬のインカレに出場できるので、インカレも目指しています」
──では最後に、サポーターへのメッセージお願いします。
「自分の特徴であるスピードを生かしたプレー、そしてチームのために戦う姿勢を見てもらえたら嬉しいです。フロンターレに戻ってこられたので、まずは1日も早くデビューしてチームの勝利に貢献したいです。また応援よろしくお願いします」
(取材・麻生広郷)