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【マッチデープログラム400】2022.8.10.ルヴァンカップ準々決勝第2戦vsC大阪


川崎フロンターレのホームゲームで販売されている試合観戦ガイド「オフィシャルマッチデープログラム」を、note版としてお届けします。

本誌とは若干構成が変わり、記事ページを中心に本誌には掲載されていない試合前選手コメントや加工前のオリジナル画像もアップされています。

記念すべき400号突破!ということで、特別対談の中村憲剛FRO×小林悠選手がお送りします。また、試合に向けた鬼木監督メッセージ、試合のみどころ、対戦チーム紹介、試合前コメントといった記事を掲載しています。

試合会場にお越しいただく方も、お越しいただけない方も、観戦のおともに、試合の振り返りに、お手元のスマートフォンまたはタブレット、PCでご覧ください。

■マッチデープログラム400号突破記念 特別対談
中村憲剛FRO×小林悠

皆様の長らくのご愛顧により、川崎フロンターレ・オフィシャルマッチデープログラムは今号で400号を迎えることができました。2003年後半の創刊準備号、2004年の第1号から約20年。マッチデープログラム400号突破を記念し、クラブの歴史を作ってきた中村憲剛さんと小林悠選手のロングクロストークをお送りします。

「ユウはある意味、外国籍選手みたいなもんだから」(中村)
「ケンゴさん、昔から全然変わってないなぁ」(小林)

小林「(2004年に発売された第1号の表紙を見ながら)へー、これが第1号かあ。関塚さん(関塚隆/2004年~2008年、2009年監督)がいて、相馬さん(相馬直樹/2004年~2005年監督)もいますね」

中村「そう。ジュニーニョ(2003年~2011年)がいて、ヒロキさん(伊藤宏樹/2001年~2013年)がいて、マルクス(2004年~2006年)がいて、ガナ(我那覇和樹/1999年~2008年)もいる」

小林「マルクス、知らないなぁ。11番着てる」

中村「そうそう。ユウの前の11番がヴィトール(ヴィトールジュニオール/2008年~2009年)、その前がマギヌン(2006年~2007年)でしょ。その前がマルクス。もともと11番は外国籍選手がつける番号だった。まぁ、ユウはある意味外国籍選手みたいなもんだからちょうど良かった(笑)」

小林「このときケンゴさんはいたんですよね?」

中村「いた。2004年はプロ2年目でボランチにコンバートしたばかりで、まだスタメンじゃなかった頃。だから表紙にはいない」

小林「確かに。ここにケンゴさん載っていないの違和感ありますもんね。最初トップ下だったんですか?」

中村「プロ1年目はトップ下で、2年目の開幕前のキャンプに関塚監督からボランチにトライしようという話があって、前向きに取り組んでいくうちに楽しくなっていった感じ。それから少しずつ試合に出るようになった」

小林「(中村憲剛さんが表紙の号を見ながら)。これが2004年かぁ。全然変わってないですね」

中村「そう。シルエットはまったく変わってない(笑)」

──小林選手が表紙で登場したのが、プロ2年目の2011年ですかね。

小林「たぶんそうですね。1年目はほぼ試合に出てなかったので」

中村「ワンタッチゴーラーのときでしょ?」

小林「そうそう。いんちきワンタッチゴーラーでした(笑)」

──2年目から背番号が11番になったんですよね。

小林「そうです。1年目は24番でした。庄子さん(庄子春夫/現エグゼクティブアドバイザー)が『11番が空いてるけど、どうだ』って勧めてくれたんですよ。1年目は怪我のリハビリもあって全然試合に出てなかったんですけどね。だから当時メンバーに入るだけでも嬉しくて、遠征に行く途中の新幹線で写真を撮って『今から新潟に行きまーす』ってモバフロのブログを上げちゃうっていう。今ではあり得ないミス(笑)」

中村「あったわ~。思い出した。それでチームに怒られるっていう」

小林「お馬鹿な若手でしたね」

中村「ユウが表紙のG大阪戦、俺がフリーキックを決めたときだ」

小林「そうだ。ケンゴさんが尻拭いしてくれた試合」

中村「ユウがシュートを外しまくってね。安藤(安藤駿介)のプロデビュー戦」

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