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中村憲剛について、現場目線で思うこと

川崎フロンターレ・オフィシャルライターの麻生と申します。

まず最初にオフィシャルライターという仕事を紹介させていただくと、クラブが展開しているメディア、最近ではオウンドメディアと呼ばれていますが、公式のHPやSNS、モバイルサイトまわりの選手インタビューやコメント取り、原稿執筆、簡単な撮影をしています。

ただしフロンターレの場合、社内で手が回らないときのお手伝い要員的な要素が強く、中の人寄りであり、出入り業者であり、記録係で雑用係でもあるという、他クラブではあまり聞かない絶妙(微妙?)な立ち位置の業務内容となっています。

ルーキー時代

さて中村憲剛選手の話ですが。来年からは「中村憲剛さん」と紹介されるでしょうから、あえて「選手」と呼ばせてもらいます。

プレーヤーとしては皆さんご存知のとおり素晴らしいので今さらいうまでもないですが、人間性という部分でもプロサッカー選手の概念を変えてくれた特別な存在です。

昔話になりますが彼がプロ入りした2003年というのは、ちょうど私がフロンターレ関連の仕事をさせてもらうようになった時期と重なっていて、その年のマッチデープログラムのインタビューではじめて彼の取材をさせてもらったことを今でも憶えています。

「期待の大卒ルーキーで、クラブとして推していきたい選手なんだよ」と広報の人に言われて旧クラブハウスのひと部屋で待っていると、入ってきたのは細身だけどハンガーのように肩が張っていて、さらに猫背という独特のシルエットの若者でした。

正直なところ、その頃の私は川崎フロンターレのことをよく知らず、というか、そもそもサッカー選手の取材をすること自体慣れていなくて、別業界の知り合いのライターさんからは「サッカーのことをよくわかってないと、プロの選手はちゃんと話してくれないよ」と真面目な顔で脅されていました。

でも実際に話してみるとまったくそんなことはなくて、今考えてみると私の拙い質問に対してどの選手もしっかり考えて答えてくれました。当時のフロンターレはJ2にいたのでメディアに取り上げられることが少なく、選手にしても取材を受ける機会がそう多くなかったのでウェルカムな空気だったのかもしれません。

そのなかでも、とくに気さくに話してくれたのが中村憲剛選手でした。

「プレーしている姿を遠くから見ても、シルエットとボールの蹴り方ですぐ中村選手ってわかりますね」

「お〜、そうですか。それってサッカー選手としては美味しいですね!」

なんてやりとりをしたことを憶えています。

彼に教えられたこと


これは彼を取材したことがある他の記者さんも同じだと思うのですが、彼との会話を通して聞き手として教えられたことがたくさんあります。

本人がもともとおしゃべり好きというのもあるんですが、彼が選手として注目されるようになって取材の場数を踏むごとに、言葉のチョイスや返し方がどんどん上手になっていった気がします。

サッカーに関しての説明が理路整然としていてわかりやすいのはもちろん、冷静に話すなかに核心を突く本音を入れてくる。そしてクラブハウスでは、ときにお調子者で甘え上手な末っ子気質を出してくる(いい意味で!)。

人懐っこくてストレートに喜怒哀楽を出すところに人間味を感じ、さらに深堀りしたくなる記者さんは少なくありません。

「中村憲剛を外から別の中村憲剛が見てるんですよ」と以前、本人が話していました。自分がどう見られているかをよくわかっていて、だからこそピッチを俯瞰で見ることができると評されるプレースタイルが生まれたんじゃないかなと勝手に思っています。

栄光も重圧も


ただ、「フロンターレの中村憲剛」という名前が大きくなるにつれて、彼にかかるプレッシャーもどんどん大きくなっていきました。

勝負の世界はいいときばかりではなくて、勝った試合だけではなくて負けた試合でもクローズアップされるのが中心選手の宿命です。とくに彼がキャプテンを務めていた時期は、試合後のミックスゾーン(フリーで取材できるエリア)では毎回のように彼の周りに人だかりができていました。

メディア側の立場からすれば一番わかりやすい選手の画を撮りたいですし、話を聞きたいわけですが、本人からすれば納得がいかなくて話したくないときもあります。その苛立ちが自分自身に対してなのか、他の何かに対してなのかは都度違いますが、爆発しそうなときはさすがにノーコメントでスルーするときもありました。

彼がキャプテンを務めていたある時期、「中村憲剛の調子が悪い」と周りからいわれる試合が続いたんですが、今だから話せますが体の痛みを抱えながら無理してプレーを続けていました。

でも、批判されても彼がコンディションについての話をすることは一切ありませんでした。それはチームの大黒柱としての責任感からくるものでしょうし、本人の意地もあったと思います。

ですから36歳になるプロ14年目にしてJリーグMVPを受賞し、翌シーズンにキャプテンを小林悠選手に託して「これからは自分のことに専念してサッカーができるよ」としみじみ話していたのは、彼の心の底から出た言葉だったと思っています。

彼の人生はまだまだ続く


それからは皆さんご存知のとおり、J1初タイトル、リーグ連覇、ルヴァンカップ制覇、大怪我からの復帰、そしてリーグ奪還というドラマよりもドラマティックなストーリーが続きました。

そして40歳になる2020シーズンを最後に現役引退を発表。気づけばプロになってから18年の月日がたっていました。

本人は憶えているかどうかわからないですが、ここ2、3年「引き際は自分で決めなきゃいけない」といった話をしていたのが心のどこかに引っかかっていました。

これだけの功労者ですからよほどのことがない限りクラブから肩を叩かれることはないでしょうし、本人が希望すればまだプレーできると思います。

でも引退発表会見で本人が話していたように、自分でラインを決めていたからこそここまでやってこられたというのも紛れもない事実です。

現役を続けたくても続けられずに辞めていくプロサッカー選手がたくさんいるなかで、一線級の活躍をしたまま惜しまれてユニフォームを脱ぐ。

もしかしたらJリーグ史上、最も幸せな現役引退になるかもしれません。

ですから彼が引退するというのは、個人的な思いとしては寂しい気持ちもありますが、どちらかというと安堵感の方が強いです。

これは表現の仕方が難しいのですが、これまで彼が背負ってきたものを考えると、無事に終われそうでよかったねというか、本当の意味でやっと自由になれるねというか。

ただひとつ。オフィシャルライターとしてネタを拾わなければいけない立場からすると、「苦しいときのケンゴ頼み」が来年からできなくなるのは辛いところです。大変です。どうしましょう。

でも、どうしても困ったときは中村憲剛選手ではなく、新しく何かをやっているであろう中村憲剛さんに話を伺いたいと思います。

お世話になりました。そして、まだまだお世話になりそうです。

川崎フロンターレ
オフィシャルライター
麻生広郷

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